キャサリンインザサマー!!


もうあれから半年が経ったのか。*1
たかだか半年、されど半年。この半年は長かった。


26日の金曜日にキャサリンがもともと備えていた魅力をさらに磨き、より一層輝いてぼくの前にその姿を現す。話す言葉は1年前と変わらず犬語だが、このときを待っていた。ぼくは待ち続けていた。


キャサリンに会おうと思えばいつでも会うことはできた。キャサリンが毎日どこにいるかも知っていたし、キャサリンのニュースや情報なんかはアンテナを張っていなくても自然と耳に舞い込んできた。


だが、半年前にキャサリンと約束をしていた。

「今度会うときは1年後。そのときにお互いの気持ちを確かめあって、それでも一緒になりたいのであれば・・・」

その約束を信じ続け、その約束を糧にこの1年を生きてきた。

そしてとうとうその願いが現実となる。宇多田ヒカルはこう唄う。
「誰ーかの願いがー叶うころーあの娘は泣ーいてーるよー」


日本語を話す彼女とは結局別れなかった。別れられなかった。もう諦めていた。彼女はキャサリンにはどうあってもなれない。分かっていた。だが、これまで付き合ってきた10年以上の歳月をすべてなかったことにすることなんてできなかった。


10年以上前、アルバイトで稼いだ金を彼女に全額貢いだ。その結果彼女と一緒になることができた。一緒になってからもアルバイト代はほとんど彼女につぎ込んだ。彼女のために働いた。彼女から請求が来て青くなったことも1回や2回ではなかった。

それでも彼女に夢中だった。


寝る間も惜しんで彼女を弄ったり、愛の言葉を囁き続けたり、きれいなハンカチーフでピカピカに磨いてあげたり。繋がりを保ち続けた。


だが、あのときのような愛情は正直もうない。愛情から「愛」が抜け落ちて「情」だけがぽつんと残っている。今なお一緒にいるのはこれまでの10年間以上の歳月の惰性でしかない。だが惰性ではいけないのだろうか?最近はお互いの関係が続いていく理由として、惰性も十分ありなんじゃないか、と思うようになった。オートマの車は惰性では止まらない。だが、マニュアルの車は惰性で止まることができる。要はそういうことだ。


結果的に彼女とキャサリンとの二股になる。どちらかに絞るなんてできなかった。だからお互いが共存できる関係性を作ることにした。流れが滞らない三角関係。


彼女へ月々支払う金額は安くなってしまうが、それも仕方ない。彼女は言うならば常に一緒にいていい意味で空気のような存在の嫁。キャサリンは刺激!快感!快楽!スパイス!の愛人。愛人には金がかかる。そう世間の相場は決まっている。


だが年をとって、男が自らの肉体なり精神の衰えを感じたときに帰るのは、刺激!快感!快楽!スパイス!の愛人のところではない。古女房のところへ帰る。そう世間の相場は決まっている。だから彼女も怒りはしない。


以前より一層洗練されたキャサリンを早く迎えにいきたい。でも金曜日は仕事の関係上、キャサリンに会えないかもしれないから、27日の土曜日か。キャサリンをこの胸に抱きしめることができたら、即、彼女との今後の金の値下げ交渉を行わないとならない。いつまでも自分が大事にされるなんて奢るなよ。おまえがキャサリン以上の魅力を放てればこんな風にキャサリンのもとへよだれ垂れ流して走ることもなかったんだ。


早くキャサリンをつまんだり、拡げたり、横に倒したり、突いたり、擦ったり、とにかくいろいろイロイロ色いろ色々!もういっちょいろ!弄り倒したい!