アクイ2
気持ち程度にノックしてドアを開けた。
幹男の部屋はひどかった。窓に隙間なく貼られた黒い紙、テーブルの上のゲームに出てきそうなランプ、よくわからない髑髏の置物等々。
外からの陽光は完全に遮断されていて、明かりはテーブルの上のランプだけだから、昼間だというのに部屋の中だけ真っ暗だった。
ああ、これがこないだ二木男が言っていた「中二病をこじらせた」って症状なのか。気持ち悪い。
「誰?」
部屋の異質さに心奪われ、この部屋の主の存在を忘れていた。
幹男の声は部屋の奥から聞こえてきた。
「市来だよ。今週おねだり係だからプリント届けに来た」
「ああそう、親に渡しといて」
興味なさそうな声になんかムカついた。お前の俺に対する興味より、俺のお前に対する興味の方が少ないっつーの。バカが。
「おい。電気点けろよ。担任にお前の状態伝えないとならないんだからよ」
暗闇でもそもそ音がして、パチっと音がして灯りが付いた。
部屋は想像していたより遥かに広かったし、酷かった。
なんだろう、黒魔術とか魔女とかそんなんに使われてそうなでかいツボみたいなのがあるし、なんかキョンシーのおでこに貼るお札みたいなのが壁一面に貼ってあった。
「怖いのか?」
キョロキョロしてる俺を見てなにを勘違いしてか、にたにたしながら幹男は言った。
「ハァー?気持ち悪いんだよ、この部屋。バカじゃねーのお前」
なんか本気でムカついてきた。
「市来。今まで生きてきてこんな部屋見たことないだろ。お前らはいつもそうだ。大事なことを見落としながらもさも見落としていないかのように振舞う。本質を見極められていないんだ。よく見ろ!これが世界のあるべき形だ!」
本当に気持ち悪いな、こいつ。風邪で頭がイカれたのか。話してて疲れる。もう早く帰ろう。
「まあ、元気そうだったから担任にはそう言っとくわ。あとお前病気だと思うから心の病院いけよ」
幹男はゲラゲラ笑い出した。やばい。怖いわ。
「ほんとになにも分かっちゃいねえな。なあ、市来。お前【アクイ】って知ってるか?」
「悪意ぐらい知ってんよ。じゃあ俺帰るから」
背を向け、ドアから出ようとしても幹男は依然話し続ける。
「まあ、逃げるなよ。俺の言ってる【アクイ】ってのは、たぶんお前の思ってる悪意とは別物だ。目に見える【アクイ】のことだ」
ほんとめんどくせえ。たぶん風邪ってのも嘘くさいから、一発ぶん殴ってやろうかと、幹男を振返ると、幹男の手の中にいつの間にか水羊羹があった。
「これが【アクイ】だ」
それはただの水羊羹だろ。まじでいかれてやがる。ぶつぶつと見ろよこの美しさ、この輝きとか言っている。水羊羹一つであそこまで自分の世界に入り込めるものなのか。
こいつを困らせてやりたい。完膚なきまでに叩きのめしたい。猛烈にそう思った。
近寄ると幹男は鼻の穴を膨らまし、得意気に【アクイ】もとい水羊羹を見せてきた。
近くで見てもやはりただの水羊羹でしかない。あのよく分からない透明なフィルムもちゃんと付いている。
俺は幹男の手から水羊羹もとい【アクイ】を奪い取ると、ぱくっと口に放り込んだ。
幹男は口を開けて俺の口元を見ていた。俺はわざとくちゃくちゃ音を出して水羊羹を食ってやった。味もやはりただの水羊羹だ。
食べ終わると幹男は両の目を北海道と沖縄くらい離して俺の口元に指を突っ込んできた。汚え。
幹男は【アクイ】を返せ!とか俺の口をどうにか指で掻き分け、来い!とか言っていた。血走った赤い目をして。
なんか鬼気迫る感じが怖くて、俺も抑止する言葉を発したかったが、少しでも口を開けようものなら、幹男の指に口腔を侵食されそうだったから、幹男の部屋から走って逃げた。