アクイ4

「あれだろ。他人に害を与えるようなことだろ。そんぐらい知ってるっつーの」

そう言うと、二木男はそうだよな、と呟き、また黙ってしまった。

もうこれは「悪意」じゃない。間違いなく【アクイ】のことを言っている。たぶん。

どうしたもんか。暫し逡巡。

でもなんて言えばいいんだ。なあ、お前の言う【アクイ】ってのはひょっとして羊羹のことか?とでも聞けばいいのか。バカらしい。

あれって食べちゃいけないもんだった?と聞けばいいのか。


でもなんか恥ずかしくないか、それ。もしも、もしも二木男の言う悪意ってのが、本当の意味で悪意であるとしたら、それお前ひどい悪意だよ、なんて悶々としていたら、もう二木男の家の傍にいて、二木男は「じゃあ」と手を上げて帰っていった。


結局なにも聞けないまま、家に帰り昨日と同様布団の中で悶え苦しんだ。

しかしどういうことだ。

【アクイ】を知ってるか?なんて普通聞かないだろ。それが悪意であるなら。

だから二木男が言っていたのは、悪意じゃなくて【アクイ】だろう。

それはわかった。わかったよ。
だけどなんで二木男も知ってんの?なんで?そんなにポピュラーらもんなの、【アクイ】って。

段々腹が立ってきた。元凶は幹男だ。あいつが変な羊羹を食わせたりしなければ俺はなにも問題なかった。

こんな風に悩んでなんかいないけど気にすることもなかったのに。



夢を見ている。わかる。これは夢だ。

だって私は人間じゃなくてクジラになって海を泳いでいるのだもの。

底の見える黒い海。真っ黒なのに透き通っている。でも底は恐ろしく深そう、そんなイメージ。

なんで私がクジラなんぞにならなければならないのか、どうか私に足を寄こしてください、と願ったらにょきにょきお腹の辺りから足が生えてくるのがわかった。

痛い!痛いなんてもんじゃない。でも痛いとしか表現しようがない。痛い。

身体の内側辺りから生えてきているようで、皮に引っ掛かって皮が破裂しそうだけど、そこは私はクジラ。鋼鉄の皮膚が足のにょきにょき侵攻を許さない。皮膚の内側で外に出ようともがいてる足がぽきぽきぽきぽき小気味いい音を立て折れていく。
まいった。本当にまいった。痛い。

もう仕方ないから皮を手でひっぺがして帝王切開にしよう、と思ったけど手がない。

足はもういいから手をください、と願ったら今度は胸の辺りの皮膚に激烈な痛みが。もう足の痛みはなくなっていた。


もう手も足もいいから本来の姿に戻してくださいと願ったら、その瞬間私が破裂。皮も肉も臓器も跡形もなく弾け飛び、私は液体だけになった。

どす黒いうんこみたいな色の液体。

黒い海に飛び散ったわたしことうんこみたいな液は、液体の一滴一滴が独立した思考能力を持ち、合体しようと願う意思と、合体を拒む意思とが攻めぎあい、ああ、これが個性と、喜びやら哀しみ。


個々の独立した思考は、同じ思考を持つもの同士で固まり、飲み込み、吸収され、何億とあった個々は10種類くらいだけになった。

その10種はみんな黒っぽい色をしているが、その中でも一際黒い固まりが他の固まりを飲み込みだした。

あれよあれよという間にどんどん食べられ、養分とされ、気が付けば残ったのは一際黒い一種だけとなった。

でかい。黒い。あれはどこかで見たことがある気がする。
ああ、そうか、あれは水羊羹だ。


その時肩をポンと叩かれ振り向くと知らないおじさんがいて、「あれが【アクイ】だよ」と教えてくれた。

やっぱりあれは羊羹じゃなくて、【アクイ】だったんだ。
嫌だなあ嫌だなあ。

あれを食べてしまったんだなぁ。



あんな夢を見たせいで、土日は気分が晴れなかった。最悪だ。
月曜日には幹男も登校するだろうから、あいつに聞くしかないな。俺になにを食べさせたのか。