逃亡

1万円が俺の財布の中からあっさりと消えていった。
回転数を見ると132回転だった。打ち始めのときの回らなさっぷりからすれば、ずいぶん回したんではないか。
しかし、しかしリーチにならない。
132回転。リーチ回数は2回。うち1回はなんの発展もせずにドノーマル。1回は液晶の左からあのメガネロボが「マッテ〜、ワタシノアタマ〜」なんて現れたが、当然当たるわけがない。
体温が上がらない。体は冷えていく一方だ。
通路に目を移すと、既に何台かは箱を積んでいる。多いところで、1、2、3、4、5。5箱か。浮かれた顔しやがって。
隣の女もまだ初当たりは引いていない。俺の台とは違い、何度か若干熱いリーチにはなっているが、当たらない。
はずれるたびに、俺も一緒になって溜息をついたり、首を振ったりしているが、一度も俺の方を見ようともしない。くそが。

173回転目。転機が訪れる。
液晶右から、あのメガネロボが出てきたときに心臓が止まりそうになった。
いつもの金色ではない。これは…桜柄だ!京楽ならセブラ、SAMMYのキリン、SANKYOの桜。激熱だぜ!!
隣に座る女が初めて俺の方に一瞥を寄越した。そして束の間、時間にして1秒未満か、目が合った。それだけでもうよかった。よかった。
初めてステップアップが最終段階まで進み、3の図柄でリーチになったとき、二度目の心停止。メカ群来たこれ。もう来たこれ。
女と二度目のアイコンタクト。また1秒未満。それでいい。それでもいいんだ。

投資14000円にして初めてシャッターが開き、さあ、これから宇宙の旅だ!と思ったら、本日三度目の心停止。
「コーホー、コーホー、プシュー、ピカー」
クラウザー様降臨ならぬ、ベイダー卿降臨、だっぜー!!

もう間違いない。女は首を振っている。はは、俺の真似かっての。今更俺に媚びるなよ、玉はあげないぜ、だがそれ相応のサービスをおれにかましてくれたら箱を一箱あげてもいいかもな、ははっ。



まあ、な。まあ、そういうこともあるからやめられないんだ、パチンコをおれは。なんでも自分の思い通りになっちまったら、それこそ人生なんて面白くもないだろ?山があって谷があるから盛り上がるんだよ、人生もパチンコも。
くそがっ!!盤面を殴りつけたい衝動を抑え、大きく深呼吸をしてどうにか怒りを抑えた。

その直後に女が大当たりを引き当てた。
「コーホー、コーホー、プシュー、ピカー」もなく、桜もなく、そこまで熱いようには見えなかったが、あっさりと確変を引き当てていた。
おれは女の顔を凝視した。もう盤面には目をやりたくない。こんな辛いものを見ているならおれはきれいな女を見ていたい。だが、女は頑なにおれと視線を合わせない。

そのとき女の肩にごつい手が置かれた。
「おう、どや?」
視線を上げるとそこにはフェイスロック的な顔面岩石的なごついいかつい顔をした男がいた。
「おう、確変やんや。ようやったな。ならはよ玉よこさんかい」
重低音がすさまじい。人間の声か、それ。おれの足はガタガタ震え始めた。武者震いじゃない、恐怖震えだ。こいつぁほんもんの悪だ。

女は男の耳元に口を寄せてなにやらひそひそ話を始めた。男の嬲るような視線がおれの眉間あたりに突き刺さる。体温は上がらない。下がっていく一方だ。

はえげつない渇いた笑い声をあげる。おれの首元には死神の鎌がかかったのだろうか。パチンコ屋でパチンコじゃないリーチがかかってしまったのだろうか、しかも激熱の。

さりげなさを装い、逃げた。少しの玉が上皿に残ってはいたが、気にしている場合ではなかった。

路地裏まで走り、後方を振り返り誰もいないことを確かめ、たばこに火を点ける。息が上がっていた。吐く息は白い。

このヒリヒリ感がおれに生を感じさせてくれる。体に流れている血を感じさせてくれる。だからパチンコはやめられない。
だが、おれはもうこの店には来れないかもしれない。まったくついてない。空にはまだ月は見えない。今日何度目かの溜息をついた。