第1話「女」

雨は好きじゃない。特に冬の雨は。
シトシトと降り、徐々に体温を奪っていく。死神のような雨。
だが、どれだけ寒さに凍えてもここを離れる訳にはいかない。優先入場整理券という片道切符を得るために。その切符は天国行きか、はたまた……


「おれはもう勝負できないよ」
そう呟いた男を思い出す。年中赤い毛糸の帽子をかぶっていた男。
聞いた話によると、消費者金融に手を出し、みるみる借金が膨らみ、今では消息不明らしい。あいつにとっては、地獄への片道切符だったんだな。


「間もなく整理券を配付いたします!一列にお並びください!」
店員の声とともに、弛緩していた空気がピンと張りつめた。期待感と嫌悪感が一体となった混沌とした空気。しかし前に並んでる女はかわいいな。隣に座れたらいいな。
渡された整理券を見ると6番だった。あと一つ遅い番号だったら、と思ったが、思い直す。こういうときに縁起のいい番号を引いたときはまず勝てない。番号に運を吸われてしまい、勝負運がなくなってしまう。これで少なくとも、俺の後ろに立っていたスーツの男は今日は勝てないだろう。そもそもこんな朝早くからスーツ姿の男がいることがおかしい。会社の外回りか若しくは家族には会社と嘘を付いて来たのか。たぶん後者だろう。その気持ちはよく分かる。

こんな寒い日には暖かいコーヒーが格別に美味い。それがこれから一勝負するということであればなおさら美味く感じる。喫茶店へ向かう信号を渡っていると、黄色いマフラーのようなものが道路に落ちていた。拾おうか、と思ったが、信号も点滅しているし、そのまま信号を渡る。振り返ると大きなトラックが轟音を立てて走り抜けていった。マフラーはトラックの大きなタイヤに踏みつぶされ、ズタボロになっていた。そのズタボロさと自分が一瞬重なり、不吉なものを感じたが、「まさかな…」と呟き、喫茶店へ向かった。


茶店はさっきまで整理券をもらうために並んでいた奴らでほぼ満員だった。やはりみんな勝負の前のコーヒーは格別なのだろう。さっき前に並んでいた女を目で探したが、店内には見当たらなかった。
勝負へ向けて静かにコーヒーを飲む者、攻略雑誌を読みふける者、友人達と騒ぐ者、勝負へ挑む姿勢はみなばらばらだ。しかし騒いでいる奴らは五月蝿い。もう少し静かに勝負に臨めないものか。
俺は一人、静かにコーヒーを啜る。今日の軍資金は3万5千円。コンビニへ走ることにならなければいいが。
そろそろ行く時間だ。席を立つと、その拍子に机を揺らしてしまい、コーヒーカップを床に落としてしまった。幸いなことに割れなかったが、騒いでいた若者達が、ひそひそとこっちを見ながら内緒話をして笑っている。
「クソガキが呪われろ」と口の中で呪詛を唱え落としたコップを拾い、返却カウンターに戻した。しかしツイていない。


ツイていない……ツイていないだと。自分の考えたことにゾッとした。これから勝負だというのに、俺はさっきツイていないと考えていた。今日は帰った方がいいのかもしれない。いや、待て。ここでこれだけツイていないのだから、これからの勝負でツイていない訳がない。人生は天秤のようなもの、と誰か昔の頭のいい人が言っていた気がするし。だったら今日は負ける気がしない。クソガキ共め、今はせいぜい笑っていろ。最後の笑うのはこの俺だ!


茶店で少し時間を喰われてしまったから、走って店内へ戻るとすでに整列が始まっていた。「ちょっと待ったー!」と頭の中で叫び、店員に整理券を見せると、列に入れてくれた。心臓がどきどきしている。しかしやはり前に立つ女はいい女だな。やる台が一緒だったら絶対隣に座ろう。


整列が終わり、とうとう入場となった。俺の前の5番のいい女が走って行ってしまったから、俺も5番の女を走って追いかけた。