「『小室哲哉』とは何だったのか?」

11月29日(土)に阿佐ヶ谷LOFTで行われた「『小室哲哉』とは何だったのか?」というトークイベントへ行ってきました。
司会にジャーナリストの津田大介さん、出演にはニュー評論家の栗原裕一郎さん、HONDALADYのマルさん、編集者の岡田育さん、そしてばるぼらさんという、まるでちゃんこ鍋の具みたいな多種多様なメンバーが一同に集い、今ホットな「小室哲哉」について語るというのだから行かないわけにはいかない。
トークイベントとしてはTM NETWORK時代、プロデューサー時代、そして衝撃の逮捕までについての「小室哲哉」という人物について映像、音楽を交えつつおもしろおかしく聞けてかなり有意義な時間を過ごせました。
初めて耳にする話もあれば、YOSHIKIとのV2の結成とか非常に懐かしい話題もあり、改めて「小室哲哉」という人物について考えさせられた。
ぼくが「小室哲哉」を認識したのは、TM NETWORK時代ではない。TM NETWORKというグループは知っていたが、その中に「小室哲哉」が含まれているとは当時知らなかった。TRFだとかglobeなんかでヒット曲をバンバン量産しているときにようやく顔と名前が一致したくらいなもんだ。

そんな「小室哲哉」が残したもの…まあ、もちろん大量のヒット曲は残している。カラオケも非常に活性化されたのではないだろうか。当時多大な影響を与えている。だが、多大な影響を与えたのは当時だけだろうか。今現在も大きな傷跡を残しているのではないだろうか。

小室哲哉」のプロデュースする曲が売れに売れている頃、ぼくは高校生だった。音楽番組を見ればほぼ確実に「小室哲哉」の曲が流れていた時代。「小室哲哉」の音楽は完全にあの時代の主流だったと思う。
だけど、一部の高校生は主流を嫌う。人とは違う自分を演出しようとする。アウトローな自分が「いかすぜ!」ともろに中二病に冒されている。
そんな中二な高校生からすれば「小室哲哉=ダサイ」という単純明快な図式が展開される。その図式が拡大解釈され、「小室哲哉=JPOP」となり、「JPOP=ダサイ」という結論が導きだされるようになるまでそれほど時間はかからなかった。
中二な高校生は極端にダサイことを嫌う。ダサイことを避けるためであれば、自分の気持ちに嘘を付くことくらいなんでもない。
これはただの持論だけど、あの当時の高校生は本当はJPOPを聞きたいのに、ダサイと思われたくなくて、自分を騙して敢えてJPOP以外のジャンルを聴いていたのではないかと思う。
当時の中二な高校生達がJPOPを避けた結果、パンクなり、HIPHOPなり、テクノなんかに走り、JPOP以外のジャンルが活性化されたように思えてしょうがない。
自分を特別だと思いたくて聴き始めて、一人で聴いてるだけじゃつまんないし、だれもイカしてると言ってくれないから、そんなイカしてる自分を知ってもらいたくて、誰かに「おまえ小室なんか聴いてんの?マジダサくね?俺?俺はこれだよ。まじカッケーから。なんつーの、初めて音楽ってのがなんなのか知ったわ、これ聴いて。マジで。おまえもこれ聴いたら、マジやっべーから、マジで!」なんつって唆された中二病予備軍がみんなそっちに走れば、JPOPが廃れるのも納得はできる。
それが2000年頃のこと。ちょうどその頃から「小室哲哉」の威光も弱々しくなったように思える。そして、JPOPにHIPHOP(?)が多くなったのもこの頃からだと思う。パンクも売れてたしね、この頃。
そして今のJPOPで売れている曲を見ると、小室全盛期の頃なら「キワモノ」扱いされていたような曲が非常に多くなったように見受けられる。JPOPがカラフルになったなと思う。それがいいことなのか悪いことなのか分かんないけど。

小室哲哉」は当時の「音楽シーン」なんていうと、赤面してしまいますが、当時の音楽シーンにはもちろん多大な影響を与えたと思うけど、それ以上に今現在の音楽シーンにこそ多大な影響を与えているのではないかと。そんな風に思う。
無事出所もされたようですし、小室さんにはがんばっていただきたいです。「これからはHIPHOPが来る」なんて日経エンターテイメントあたりにコメントを載せていただいて、がんばってHIPHOP(?)のヒット曲をバンバン飛ばして、1位から5位まで小室プロデュースのHIPHOPで占拠していただけたりしたら嬉しい限りです。そうなったら、またガラリと日本の音楽シーンも再度大きな変化をしてくれるのではないか、なんて期待しています。