この国はだいじょうぶだろうか
バスで小学二年生くらいの男の子と隣合わせ、その男の子がキッズケータイを弄っていたから、どんなもんやろとちょっと気になったので、覗き見をしていたら、その子はフラッシュ動画のようなものを見ていた。
キッズケータイにもこんなのあるのね、なんて感心していたが、その子の見ているフラッシュを見て不安になった。
それは最初にデフォルメされた文字で「殺意」と出て、その後にいろんなキャラがいろんなキャラを殺戮しまくっているような45秒くらいの動画。そんなフラッシュを何度も繰り返して見ている。
ぼくがそのとき思ったのはなぜか卵の割り方についてだった。
もし卵の割りかたにマニュアルがあれば、まず卵を片手に持って、机の角とかにヒビが入る程度に軽く叩き、ヒビが入ったら、ヒビの部分に両手の親指を突っ込み、観音開きのように開くというようなものだろうか。
でも誰もがその割り方をしているわけではない。片手で割ることもあるし、指でずぼって穴を開けてそこから垂れ流すやり方もあるかもしれないし、投げつけて殻だけ回収するというやり方もあるかもしれない。全部正解だし、そもそも卵の割り方に不正解なんてないように思える。
ただ、それはマニュアルという本来の割り方を知っている上での話となる。
マニュアルを知らないで、初めっから投げつけて殻だけ回収するという割り方をしていたら、それはただの阿呆である。
フラッシュを見ていた子は、あんな血がドバッと出てニヤニヤしているようなものをどのように捉えているのだろうか。ただ単純にオモローなんつって見ているだけで、あくまでこの自分がいる現実世界とは一切切り離された別次元のものとして捉えているのであればぜんぜん問題なんかない。好きなだけ見てやと思う。
けど、それを自分の今いるこの世界と切り離せていないのであれば、それは周りの誰かが切り離せるようになるまで、止めてあげるべきだと思う。それをするのはもちろん大人の役割だ。
大人の役割だと分かっているが、隣に座っていたぼくには何もできなかった。なにもできるわけない。
「そんな危険なもの見るのやめなさい!」と言ってケータイを奪い、有頂天ホテルの角野卓造のように膝でケータイを割って、割ったものをさらに地団駄を踏むかのように踏みまくって全壊させればよかったのか。
もしくは、「こういうのはもう少し大きくなってから見なさい」と優しく諭すべきなのか。
そんなことはできない。なんだこのおっさんとキティガイのように見られるだけだ。だからぼくはこの国の今後を嘆くことにした。
マザーテレサの有名な言葉を思い出した。「愛の反対は憎しみではなく、無関心。」たしかにそうかもしれない。