「春樹チルドレン」について

春樹チルドレン」というレッテルを貼られてしまっている作家さんたちがたくさんいる。「ミスターチルドレン」でもなく「セカンドチルドレン」でもなく。ぼくが愛してやまない、伊坂幸太郎さんも「春樹チルドレン」の主要なメンバーの一人として名を連ねているようだ。

春樹チルドレンとは「村上春樹の文体や、センス、世界観に影響を受け、それを受け継いでいる作家」のことを指すらしい。例外的にスガシカオさんは歌い手だが「春樹チルドレン」を自称しているようだが、これは見て見ないということで。

たしかに村上春樹の文体やセンス、世界観は独特であると思う。「ねじまき鳥クロニカル」だとか、「風の歌を聴け」からの3部作であるとか、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」なんかは大好きだし、愛して止まない。なんていうか、極上な春の極上なやさしくてさわやかな風って感じなんですよね、村上春樹の作品って。

だけど、「春樹チルドレン」ってのはなんか嫌なレッテルだなと思う。「春樹チルドレン(笑)」か「春樹チルドレンw」て感じが否めない。まあそういう意味合いからそう言われているのだろうけど。どうしても村上春樹の二番煎じでしかないという括りからはみ出せない。

例えば、「面白本斡旋連合会」という組織があったとしたら、「春樹チルドレン」と評される作家はこんな風に言われてしまうのではないか。

「どうも、始めまして。ええ、ええ、分かってます。分かっていますとも。話は聞きました。おたく、面白い本を探してるらしいですね。それなら彼の作品をお読みなさい。面白いから。きっと面白いから。お・す・み・つ・き」じゃない。

「どうも、始めまして。ええ、ええ、分かってます。分かっていますとも。話は聞きました。おたく、面白い本を探してるらしいですね。ところでそちらさんは村上春樹は御存知ですか?知ってる。ああ、そう。好き?ねえ好き?村上春樹のこと。あー違う違う。村上春樹の作品のこと好きかって聞いてるの。なに?好きなの?じゃあ○○の作品読みなよ。村上春樹好きだったらきっと○○の作品も楽しく読めると思うよ。なんてったって○○は、今激アツの「春樹チルドレン」の一人だからさ。村上春樹みたいで絶対面白いから。お・す・み・つ・き」ってことでしょ。それじゃああんまりだ。


向上心のない人間、もしくは対外的には向上心で通しているが、その実は野心家でしかないような人間はラッキーと思うかもしれない。「村上春樹の名声のおかげで、おれまで左うちわだぜ。はは。あわよくば将来的にはこの立場を利用して……」なんてぼくの考え及ばないようなことを唇濡らして考えるかもしれない。

だが、逆に澄み切った川のような向上心を持った人だとこれはきつい。ダパンプ風に言うなら「ダメージ!ダメージ!(濁声)」って感じだ。また例えてみよう。

例えば、両親が宗教に猛烈にはまっている家に生まれたボーイがいるとして、そのボーイの両親はその宗教式のお祈りを捧げていれば、褒めてくれたが、ぼくはこんなことで褒められたくなんかないやいやい!って奮起し、お祈り以外の分野で褒められようと思い、勉強を頑張って、算数のテストでいい点をたたき出した。友達のタケちゃんからのうんこ系の遊びの誘いも断り、ダッシュで両親の待つ家に帰り、両親に鼻の穴膨らませながら見せたところ、両親からは「よく頑張ったじゃなーい。これもお祈りを頑張っていたおかげね。これからもいい点が取れるようにたくさんお祈りするのよ。」なんて言われたら頑張ることをやめちゃ〜うんじゃないか、馬鹿らしくなってさ。


与えられたレッテル(評価)が他人からしたら、「はーん、まあ、悪くはないんじゃないのかなー」的な中の中から上の下くらいのものであっても、自分からしたら、そんなレッテルを貼られるとは不名誉だ!ってことでそのレッテルを拭い去るために、「俺は俺だー!」なんてパチンコにあった「創生のアクエリオン」のアポロのように雄たけびを上げ、オリジナルティーを強めていっても、一度貼られたレッテルを剥がすのは難しい。

しかもオリジナルティーを強めようとがむしゃらに頑張っても、それが報われることはあまりないように思える。

ジャンプの漫画とかでも「あの新連載って□□の明らかなパクリだよな。」なんて世間では囁かれていて、そのレッテルから抜け出そうと、オリジナルティーを強めてどうにか違う方、違う方へと進んでいったら「暴走した(笑)」なんて言われて、次回作に御期待くださいなんて書かれて打ち切りになってしまった漫画もあるのではないか。残念ながらなんにも例えがないんだけどさ。例えがないからそんな漫画ないかもしんないんだけどさ。


じゃあ、どうしろと?村上春樹風に言うならば「決して消えないしみ」のようなそのレッテルとどう付き合っていけばいいのか?二つ選択肢があると思う。

一つは、上にもそんなようなこと書いたが、そのレッテルを利用する方法。開き直って村上春樹らしさにさらに磨きをかける。「おれ(わたし)以外に「春樹チルドレン」のレッテルは誰にも貼らせねー!」って。「社長の鞄はおれ以外誰にも持たせねー!」みたいな。それもいいと思う。動機がどうであれ、開き直ってそれを強みにできる人はかっこいいと思う。

もう一つはその作家自身が「その作家チルドレン」を作ることではないか。自分の「チルドレン」ができるってことは、その作家自身が第一人者になるってことなんだろうから、結局オリジナルティーを世間が認めるってことなんだろうから、その時点で脱春樹チルドレンを果たしている訳だから。でも50年後とかにその時代の高校生とかが、「村上春樹って知ってる?すげー文体とかセンスとか、世界観とかが○○に似てて、○○が好きなら絶対楽しめると思うよ。村上春樹は「○○チルドレン」だぜよ」なんて風に言われたら勝ちだと思う。

でも、伊坂幸太郎が「春樹チルドレン」ってレッテルを貼られているなんて、ぼく的には気に食わない。伊坂さんはもう完全に第一人者ではないかと。だってあの人の作品大好きなんですもん。