欠点のあるものが好きです

 こないだこれ読みました。

 

 言っておいたところで意味ないのは分かっているんだが、ミーハーじゃないのよ。ぼくが探偵ガリレオ読んで、予知夢読んだその後に直木賞受賞なり、ドラマ化だの映画化だのされたんだから。

 流行する前からそういう服装を好んでしていたのに、いざ流行した途端「あいつはオシャレに敏感なヤローだ(笑ハハ)」なんて目で見られたら嫌でしょ。ちょっと待てよ、と。おれはずっと前からこうだったんだ!なんて叫んでも手の平ヒラヒラされて「ハイハイ」って言われてお終いだ。そういうのって悔しくないですか?え?悔しくない?そうですか、ぼくは悔しいです。悔しいなら読むなって?えー今流行ってるんだから読ませてくださいよ。


 まあ、そんな話はここでぶつぶつ言うことでもないから、置いといて、東野圭吾ってなんなんですかね。作家だとか人間だとか、そんなことじゃなくて彼の書く小説ってすごくないですか。なんか作品に隙がないというか、機械的というか、これまた感情移入ができないんですよね。付け入る隙がなくて。
 「秘密」なり「手紙」などは東野圭吾作品の中でも感動する作品に分類されるのでしょうが、なんだか感情移入できなくて泣きそうにならなかったんですよね。
「手紙」はともかく「秘密」なんてぶっ飛んだ作品ですよ。ファンタジーですよ。それも非常に綿密に計算された極上のファンタジー。だけど感情移入できない。感情移入のできないファンタジーって虚しいですよ。

 例えばネバーエンディングストーリでアトレイユが「ファッコーーンーー!」って叫んで「呼んだかーい?」なんつってとぼけた顔したファルコンが来ても「なんかでかいの飛んできたが、あれは犬かね?猫なのかね?」なんて冷静に見ていてもファンタジーって楽しくないと思うんだよね。
 やっぱりファルコンがせっかく飛んで来てくれたんだから「っしゃー!ファルコン来たぜ!」なんて風に理屈とか常識とかそんなものは意識の彼方に葬り去ってとことん感情移入しなきゃファンタジーは楽しめないとぼくは思っちゃ〜う。まあそんなこと言いつつも「時男」は読んで泣きそうになってしまったのだが。

 この「容疑者Xの献身」も御他聞にもれず非常によくできた作品でした。湯川シリーズ初の長編だが、短編を読むかのごとく一気に読んじゃうし、湯川という人間の内面にスポットが当てられて、より厚みのある作品になったのではないかと。
ぼく的には完璧な作品なんですよね。ハンカチ全体に満遍なく水が浸みてる感じ。疎かにしてる部分がない感じ。
 ただ、完璧すぎるんだよね。まあ、それに越したことはないんだけど、ちょっと醜い部分があったほうが人として魅力があるように(ぼくはそう思う)、本もちょっと隙があって感情移入できた方が読者としては楽しいなんて思うのはぼくだけですかね。