とりとりとり3

鳥はその後も調子に乗り、得意げに続けた。
「あそこにベビーカーに乗った小さな子どもがいるじゃないですか。あの子どもが今何を考えているかわかりますか?あの子どもは今、「この椅子きっつきつできっついねん。ほんま大概にせーよ。あー喉渇いた。めっさ渇いた。ミルクよこせや、ミルク。泣くで、ほれ泣くで、ほんっまに」って考えてるんですよ。天使なんかじゃないですね、あれは。天使の皮を被った悪魔ですよ、あの子どもも」
鳥の言うとおり、鳥の視線の先にいる子どもは泣き始めた。そしてお母さんがミルクをあげると、けろりと泣き止んだ。心なしか口元が歪んでいるように見える。
鳥はそれを見て「げへへ」と下品な笑い声を立てた。


その笑いがひどくむかついた。一体何様のつもりだ、鳥は。
世の中には知らなくてもいい、むしろ知らない方がいいことがある。それは例えば両親がダブル不倫をしているだとか、テーマパークなんかで人気のぬいぐるみの中身だとか。そういうことは知らない方が幸せでいられる。
ぼくはあの可愛らしい子どもがそんな風に思っているだなんて知りたくなかった。頭の中にはお花畑が浮かんでいてほしかった。子どもはピュアな天使、そう思っていたかったのに、ぼくの信じ続けていた性善説は、真昼の公園で鳥によって見事に打ち砕かれた。
それに会社の横領の話なんてこんな真昼間の健全な公園で思い出したくなかった。思い出して頭を悩ませるのであれば、暗い部屋で一人発泡酒を飲んでいるときだとか、仕事中に副店長の顔を見たときだとか、それなりの場面にしたい。楽しそうに笑う外人だとか、罪のない子どものいるこの公園で、大人の醜い横顔は晒したくない。
首元に冷たい風が入り込み、寒さを感じた。なぜぼくはこんなくだらない鳥のためにマフラーも手袋も外して寒い思いをしなくてはならないのか。ぼくは暖かいコーヒーが飲みたかったのに、なぜ冷えたスポーツドリンクを飲まなければならないのか。鳥に対する怒りが沸々と湧いてきた。


ベンチから立ち上がり、鳥の背後にそっと回ると、鳥の長い首にスリーパーホールドをかけた。鳥は突然の奇襲に対処できず、完全に長い首に決まった。人生最高の会心のスリーパーホールド。
鳥は喉元から「げぐげえぇ…」と苦しそうな声を漏らし、羽をバタバタ拡げて抵抗を試みたが、ぼくは腕を離さない。鳥のフサフサの羽が鼻先をくすぐるが、ぼくは腕を離さない。このまま殺してもいい、そのときは本気でそう思っていた。ぼくは夢中で鳥の首を締め上げた。
どのくらい締め上げていただろうか。うめき声を上げて、羽をばたつかせ抵抗していた鳥も、死んだように動かなくなった。

やりすぎただろうか、ぼくは少しだけ鳥が心配になり、腕を首からするりと離した。すると突然鳥は羽を拡げ、空へ飛び立ち、距離を置いてぼくと対峙した。
「ひど、ゲェー、ひどいじゃないですか。死に掛け、ゲェー、たじゃないですか」
鳥は咳き込みながらぼくを非難した。

ちょっと興奮して混乱してしまった、と鳥に頭を下げて謝った。
ぼくは命の危機を感じていた。鳥は苛立っていた。舌打ちをしたり、鋭利なくちばしで、アスファルトを穿りかえしていた。アスファルトに穴が開くってどれだけの硬度あるくちばしなのか。刺されたら一撃で絶命する羽目になりかねない。
ぼくは必死で謝った。謝らないと殺される。

鳥は苛々と地面を穿っては、獲物(ぼく)を睨みつけるという行為を繰り返していたが、30秒くらいしたら、苛々を忘れたのだろうか。「お昼の公園って、紅茶の匂いがしてきそうな気がしませんか?」とよくわからない同意を求めてきた。もちろんぼくは同意した。命はプライドより重い。当然のことだ。そしてやはり鳥は馬鹿だ。10歩くらい歩けば忘れる。ぼくは胸を撫で下ろした。