池袋ウエストゲートパークⅥ

今日はこれ読みました。

灰色のピーターパン 池袋ウエストゲートパークVI (文春文庫)

灰色のピーターパン 池袋ウエストゲートパークVI (文春文庫)

ついつい惰性で買ってしまうものってないですか。ジャンプとか、ガムとか。もう買わなくてもいいって思うのに、なにかきっかけがない限り自分から切り離すことができない。別れたいのに別れられないカップルなんてのもそんなもんなのかもしれませんね。ぼくにとっても池袋ウエストゲートパークIWGPとか言いたかないけど、長いから以下IWGP)とはそんなような小説です。

本屋で見かけて、というか発売日が今日だってことを確認して本屋に行き、手に取ったときに買うか買わないか迷う。そろそろ買わなくてもいいのではないか。読みたい本はいくらでもある。このシリーズもこれでもう6作目だ。これだけの本の中から、敢えてこの本選ぶこともないのではないか。主人公のマコトがどうせ池袋の如何わしい事件を友人達の手を借りたり、必死に考えて、よりベターな着地地点をを選び、解決していくだけの話だ。ある意味、十津川警部シリーズのような、決まった展開だ。この本よりももっと有意義な本はたくさんあるのだから、そっちを選ぶべきではないか。

なんてことを暫時考えるのだが、結局買ってしまう。なぜか、それは期待してしまうから。

このシリーズを初めて読んだのは、1作目が文庫で発売された、2001年のことだった。2001年当時、ぼくは池袋で働いていたこともあり、普段歩いているこの街が活字として描写されていて、その描写された場所は知っているところばかりだったから、すごく感情移入できた。そして、当時はよくこの本で出てくるカラーギャングというのも、ぼくの中でまだ色褪せておらず、ライブ的な感覚で読むことができた。マコトがほぼ同い年だったことも大きな要因の一つ。

だが、転勤で池袋を離れ、活字を読んでも、想像できない場所が現れ、もうカラーギャングもちょっと無理があるのではないかと思うようになり、マコトよりも速いスピードで年を取り、徐々に世界が離れていってしまった。
スラムダンクを読み始めた頃は桜木花道が自分より年上だったのに、いつの間にか、その年を追い越してしまったときも寂しかったな〜。

読むたびに疎外感を感じるようになってしまった。


また読んでも疎外感を感じて、寂しくなるだけだと分かっているが、手に取ってしまう。もしかしたらまた、あのときのような情熱が甦るかもしれない、なんて勝手に期待してしまい。

結果はやはり、疎外感は前作以上に強く、寂しさも前作以上に感じる。

それでも、やはり来年に7作目の「Gボーイズ冬戦争」が文庫化されたら買ってしまうんだろうな。